邱さんは1948年に台湾で起きた2・28事件の際
国連に請願書を出したことをきっかけに香港に亡命した。
2・28事件から亡命までのことを
書いたのが「濁水渓」で、
香港に亡命した後のことを書いたのが「香港」だ。
初めて2作を読んでみると、
主人公が邱さんにダブるのだった。
特に「濁水渓」に出てくる男性二人は
どちらも邱さんの分身のような気がした。
これらを読んだ翌日、ふとテレビをつけると
NHKのBSで「日めくりタイムトラベル」という番組をやっていて、
これは昭和のある1年にスポットを当てて
当時のニュースや映像を数人のゲストで見て
年寄りは懐かしがったり
若者は新発見したりする番組なのだが
昭和31年を取り上げていた。
まさに若き邱さんが「香港」で直木賞、
石原慎太郎都知事が「太陽の季節」で芥川賞を
とった年である。
「受賞者で写真を撮ると、
石原さんが足を大また開きにして
何てはしたない、と話題になったけど
そのおかげでこちらはかすんでしまった」と
邱さんが以前、邱友会で言っていたが
その貴重な写真がばばんと出された。
電車の「やってはいけません」の注意ポスターみたいな、
3人がけの座席の左側に広々陣取った若者とでも
いうべき石原氏。
真ん中の新田さん、右側の邱さんはどことなく
窮屈そうに座っていた。
「太陽の季節」はその後、映画化され、
若者の風俗、一つのスタイルをつくり上げる。
番組の中心はそちらに移っていった。
石原裕次郎は今から見ると
どおってことない不良の兄ちゃんだが
まじめに飽きた若い人の
気持ちにぴったり合って受けたのだろう。
若い人たちは「へーえ、当時はこれが格好よかったんですか」と
口では言うけど、目は冷めていた。
この後、「太陽の季節」を読んだり見たり
する気もなさそうだ。
はやりものって、そんなもんだ。
昭和31年は、経済白書が「もはや戦後ではない」と書き
国会にはデモが、海には「太陽族」が押し寄せ
新しい時代が開かれたようだったが
同時に水俣病という1章も加えられていた。
遺骨収集船がたくさんの白木の箱を積んで帰ってきて
多くの女性たちが突っ伏して泣いていた。
当時私は生まれていないが、
父がまさに青春を送っていたとき、
邱さんが受賞した昭和31年に
目が離せなくなって、
最後まで番組を見てしまった。