ときめき☆道楽(文月)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2010年04月

課題曲は、「松の緑」で、この曲は

杵屋六翁(きねやろくおう)さんが娘の

改名披露の祝賀曲としてつくった長唄である。


娘の立身出世を願ってつくったのが

郭の世界と引っかけていて、1840年という

年代を感じさせる。


きょうの観客は猿三郎さんと

うちの先生のたった二人だ。

この間の発表会の方が観客は多いのだが

こちらの雰囲気の方がはるかに厳しい。

ぴーんとした感じ。


きょうの目標は、浅田真央ちゃんではないが

「パーフェクト」である。

まだ、人前で踊って間違えなかったことは

一度もない。

最初は勢いで踊っているが、

中盤から緊張してきて、頭が真っ白になったり

挙げ句間違えてしまう。


要は、集中力が弱くなってくるからだと

分析している。

真央ちゃんだってバンクーバーで

「あと2点いける」と思った瞬間

ミスってしまった。

ひたすら踊りに集中するしかない。


とはいっても、私ぐらいのが

ノーミスで踊っても技術的には未熟なのだが、

一生懸命教えてくださった先生の手前

言われたことはすべて出し切りたい。


聞き慣れた前奏が流れて、それからは実は

よく覚えていない。

あっという間の出来事で、

間違えなかったつもり。

でも、先生の目から見るといろいろ

あっただろうなあ。


踊りの後、猿之助さん、猿三郎さん、

先生、同じく試験を受けたHさん、私で、かための杯をかわした。

先生から名取りのお扇子、お免状、

名前を書いたお札を手渡されて

「おめでとう」と言われた。


ふと、小学校に入学したときを思いだす。

母に手を引かれて、みんなから「おめでとう」と

言われたけど、何がおめでたいのかわからず

きょとんとしていたこと。


新しい教科書、算数のお道具セットをもらって

「これで勉強するんだな」と少し

背筋の伸びた気持ち。


いや、これから先は長い道のりなので

小学校というより幼稚園かもしれない。

何となく始めた踊りだけど

まさか名取りまでやるとは自分ながら

びっくりだ。

そして、これからの展開を楽しみに

している自分にも驚いている。


4月25日は名取り試験だった。

前日もお稽古だったから

疲れているはずなのに、早く目が覚めた。

着物は、余裕を持って準備しないと

間に合わないからだ。


4月は雨が多かったのに

この日はさわやかな青空だった。

時間どおりに赤坂にある藤間流の

お稽古場に着いた。


待合室には既に30人ほどがいて

踊る順番を待っている。

藤間紫さんは2年前に亡くなったので、

かわりにその日は市川猿三郎さんが来て

一人一人踊りを見てくれるそうだ。


といっても、私は猿三郎さんが

どういう方なのかよくわからない。

踊りを始めるまで歌舞伎に興味もなかったので

だれがだれだか、本当に無知なのだ。


「猿三郎さんは立派な方よ。

3日前に「代役を務めてくれ」と言われても

きちんとできるし。

この人が藤間流を継いでくれると思うわ」と

うちの先生が言うから、そうなのだろう。


子供のときから梨園にいるってどんな気持ちかなあ。

30人近くの人の素人の踊りを見るのは

骨が折れるだろうな。

私だったら、まじめに見てる顔をして

頭の中は違うこと考えちゃう••••

などと猿三郎さんになって考えてみる。


邱さんは、伝統芸能の世界を

「先生の先生にならなければもうからない世界。」と

何かで書いていた。


きょう一日で藤間流に入るお金は

○○円×30人とすると結構な金額だ。

この金額が一日で稼げるなら

下手な踊りも我慢してみるか••••

というところか。


なーんて考えている間に私の踊る番が来た。


いよいよあすは名取り試験••••という土曜日。

普段の土曜日は先生のおうちでお稽古の日で

翌日が試験だろうと、いつもどおりお稽古をする。


「ここは、こうした方がいいわね」

あしたがもう本番なのに、振りがちょこちょこ変わる。

先生いわく、「欲が出るのよ〜」というらしい。


課題曲「松の緑」は7分ほどの曲で

とりあえず覚えてもらうために

簡略化した振りの部分もあるが

できるようになると、

もうちょっと高度な振りに変えたくなるということだ。


でも先生、あしたなんですよ。いろいろ言われて

頭に入り切らず、真っ白になったらどうするんですか!

とは言わず、何とか覚えようともがいているうちに

お稽古が終わった。


「これ、この間の発表会のビデオです。」

帰り際に、姉弟子からビデオをもらった。


私は余り自分の踊りを見るのが好きでない。

発表会のビデオを今までももらったけど

半年以上たって初めて見たこともある。

だって、とっても下手だから。

がっかりしちゃうのだ。


でも、あしたは試験だし、少しでも

よりよく踊らないとと思ってうちに帰って

恐いもの見たさで見た。


あら。あんなにがたがた震えていたのに

ビデオの私は平気な顔で踊っている。

おまけに震えていたかどうかも

ビデオには映っていない。


ここはもっと腰を入れているつもりだったのに

まるでなってなかったり

たっぷり踊っているつもりで

そうじゃなかったり。


西洋音楽の影響か、1つの音符に

1つの歌詞がついているのになれているが、

邦楽の世界は「な〜お〜、お〜お〜お〜お〜も〜〜」と

どこで切れているのかわからない。

これ、歌詞にすると「なおも(直も)」だけなんだけど。


私は順番を覚えるのに必死で

動きと動きの間に間が入ってしまう。

先生が「音いっぱいに踊ってね」と言っていたのは

このことだったんだーと今さら納得。


踊りもだけど、着つけもきちんとできるだろうか。

試験前はあれこれ考えることが多くて大変だ。


4月11日は踊りの発表会だった。


今年の発表会は、2週間後に名取り試験を控えた

私と、Hさんのためにやるようなもので

先生の親心に頭が下がる。


赤坂にある元料亭というお店の一間を借りて、

うちの先生の生徒から、私も含めて4人と

その家族で集うごく内輪の催しだ。


発表会というといつもこの4人だ。

定年後、踊りを教えたいという計画を持った一人と

踊りが大好きという二人、

そして私。

先生の生徒さんは現在9名いるが

名取りもしない、発表会も時間がないという

あくまでレッスンに徹している人や

役者さんで、お稽古は半分仕事のためという人、

まだ入って日が浅い人など、いろいろだ。


その座敷は、狭いながらちゃんと舞台があって

ライトも整備されていて

「よくこんなお店があったね」と皆感心した。


内輪の会とはいえ、やはり人前で踊るのは緊張する。

「大丈夫よ、あなたは堂々と踊っているわよ」と

先生に言われるが、どきどきものである。


私はいつもなぜか踊りの途中で

真っ白になってしまう。

「えーっと、次は何だっけ?」状態。

時間にするとわずかで、振りが一つ飛んだぐらいだが

試験のときも飛んだらどうしよう。


真っ白になったときは先生の方を見ると

さすが先生、すぐに手で教えてくれる。

踊っているときは先生とテレパシーでも

通じているのだろうか。


私が踊るのは「松の緑」、この曲は

名取り試験の課題曲で、ほかの流派でも

試験の課題曲らしい。


前半は夢中で踊ったが、後半、なぜか

体がぶるぶる震えてとまらなくなった。

「ああーー、緊張してるみたい!」

そうなると、焦ってくる。

焦ると、曲よりも体が速く動いて

まあ上滑りしている状態というか

肝心なところで振りを間違えてしまった。


ま、それはともかく、踊りが終わったら

おいしいお食事の時間だ。

いつもこのメンバーなので

集まる家族の方とも気心が知れて

和気あいあい。


仕事も忙しいし、

日曜日は正直寝ていた方が楽だろう。

でも、この充実感は何だろう。

何とか踊れた満足感と、

ゆっくりお食事を楽しむ時間。

「ただのお稽古」だった日本舞踊が

自分の中で確実にランクアップした日だった。


名取り試験のために無地の着物をあつらえた。

手持ちの着物でいいのかと思っていたら

無地でなくてはいけないそうで、

帯やじゅばんもそろえたら

予算を大分オーバーした。


ちょっと懐が痛かったけど、

背中に紋を入れてもらって、きちんと

たとう紙に入ってできてきたら嬉しくて、

お金のことなんて忘れてしまう。


着物ハンガーにかけて、しつけ糸を丁寧にとる。

亡くなった姉は和裁士だったので、

こうやって着物周りのことをやっていると

とても姉を身近に感じるのだ。


「ねえ、お姉ちゃん、着物はどうして

しつけ糸がついたままで来るの?

洋服はついてないよね?」と尋ねると


病床に伏して表情の乏しかった姉の瞳が

きらりと光った。

「それはね、裏地と表がずれないように

するためなのよ。」


そう答えたときの姉は和裁士として

誇りを持って仕事をしていた若いときの

表情だった。


私が和服を着始めたのは、

姉が病気になってからだったので

着物についての会話は余りない。

あれから何度か着物のしつけ糸をとったけれど

いつも姉との会話を思い出していた。


それはさておき。


しつけをとった後は袋帯を結ぶ練習だ。

本を見ながら思い出し思い出し悪戦苦闘する。

間があくとすっかり帯の要領を忘れている。

帯というのは、本人にとっては結びづらいが

もう一人助手がいると結構

簡単に結べるのだが。


「昔は家族が多かったですからね」と

着つけの先生が言っていたのを思い出す。


それにしても、着物を着る人が限られている

現代の家庭で家族が多くても

帯は結べないだろう。

現にうちの夫は帯結びの「お」の字もわからないので

私が困っていても何もできない。

ちょっと引っ張るだけで助かるところも

何をどうしていいかさっぱりわからないのだ。


日本人は民族衣裳から遠ざかっているなあ。

せめて、中学生ぐらいで1年生は浴衣の着つけ

2年生は名古屋帯、3年生は両方を制限時間内でという

カリキュラムを組めないか。


昔は家庭でごく自然に伝わったことも

今では学校の必須科目ぐらいにしないと

先細りになる一方だろう。


そんなことを考え考え、

体をよじり、首をねじくり、どうにかこうにか

袋帯のお太鼓ができた。

慣れていないと着つけだけで疲れてしまう。


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