去年の冬、おばが亡くなりました。

この人は優しい人で、
一度も声を荒げたところも見たこともないし、
幼かった私にも
よく世話を焼いてくれたのを覚えています。

でも、子育てにはことごとく失敗。

「あそこの娘がああなったのは、
育て方が悪かったから。」

うちの母もよくおばを批判していましたね。

それは、「私の子育ても下手だったけど、
あの人に比べればまだマシ」
という安堵感やら、
若いころに姑から「嫁ランキング」をつけられ、
親戚筋から嫁いだおばが母より上位に
位置していたという
過去の恨みを晴らすニュアンスが
混ざったもので、
子供の私としては、母の手前
「でも、優しいおばちゃんだったよね」は
引っ込めていました。

そのおばが生前、田んぼに
ユズの木を植えていました。

雨とお日様だけを頼りに
ユズはすくすく大きくなりました。

おばは、晩年歩くのが難しくなり、
また、隣に住むいとこも
実の母に手を貸すことは一度も
ありませんでしたから、
成長ぶりを見ることはありませんでした。

長らく忘れられたユズでしたが、
存在感を示し始めたのは
多くの実をつけるようになったから。
おばが亡くなった年も
どっさり実をつけていました。

スーパーだと
2、3粒ちまちまと売られているのですが、
実は一本の木に
たくさんなるのですね。

おばの死後、ユズの木のある田んぼを
売る話が出て、
そのままだと木を切るしかなかったのですが、
近所の人が
「あれほどの大きさになるには相当
年月がかかるでしょう。
どうか譲っていただけないでしょうか?」と言って、
(しゃれみたいですが)ユズは譲られる
ことになりました。

「◯◯さん(おば)の育てたもので
一番よく育ったのは、結局ユズしかないね。

手をかけた植物は、子供もそうだけれど、
意外と期待どおりに大きくならず、
どうでもいいやと放っておいたのが
すくすく大きくなるんだから。」
自嘲気味に母は言います。

ともかく、ユズは残りました。